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この夏の一冊


気分はすっかり夏休み、な今日この頃。
図書館で偶然、ステキな絵本を見つけました。
娘ともどもお気に入りです。
おはなしはシンプルに限る!と教えてくれます。
読みきかせが楽なのもポイント高し。
これは欲しい、買っちゃうと思います。


夜明けまで泣く
起きたらもう昼、まぶたは腫れているし、なんともみっともない有り様である。
(つづきは後でUPします)


東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
リリー・フランキー
パンロマン
(後でUPします)

100%パン―エリック・カイザー60のレシピ
100%パン―エリック・カイザー60のレシピ
エリック カイザー, ファビエンヌ ガンブレル, ジャン=クロード リボー, ´Eric Kayser, Fabienne Gambrelle, Jean‐Claude Ribaut, 弓幹 桃子, アラン デュカス, 木村 周一郎
古本屋の蘊蓄を仕込む
来週、神田で古本屋ツアーに参加させていただくことになったので、急ごしらえの蘊蓄を仕込むべく、読書。

「古本本(ふるほんぼん)」というべきジャンルが、ここへきてまた活気づいているらしい。その状況もかなり興味深いけれど、こうした古本のガイド本で語られる「本好きの人が、古本屋を巡りながら街歩きをする感覚」に、私はとても親しみを感じてしまう。
これは写真を撮る人にとっての、スナップを撮る感覚とほんとうによく似ている。あるときにはとりたててあてもなく街を彷徨い、あるときはここぞと思う場所へ出かけていき、いいタイミングでみごと写真をしとめられることもあれば、空振りの日もある。途中で雨に降られて撤退することもある。
このぶらぶら歩きには、一見、本を探すという由緒正しい目的があるわけだが、その実、求めているのは、思いがけない出会い、という抽象的なレヴェルの何かだったり。
街を歩くのに疲れると、小さな喫茶店でコーヒーを片手にひとやすみ。そこで地図なんぞ広げたりして、これからの経路を練る。買おうかどうしようか迷う。買わなかった本の行く末に思いを馳せる。撮れなかったショットを悔やみ、午前中の日差しの具合を思い起こす。そういう愛すべき時間の総体が、神田という街のそこかしこには、きっとぷかぷか浮いているんだろう。

東京古本とコーヒー巡り
東京古本とコーヒー巡り

下の本には、ちょうど三鷹の「文鳥舎」が載っていたので、興味深く読む。「早稲田文学」の編集のお手伝いをさせていただいていた頃に、このお店の主である大森さんにお世話になった。介護と両立していける仕事ということで、お店を開業したとのこと。なるほど。また食べに行きたくなった。

ブックカフェものがたり―本とコーヒーのある店づくり
ブックカフェものがたり―本とコーヒーのある店づくり
矢部 智子, 今井 京助

ここは「下流」。
ベストセラーにもなっている、三浦展『下流社会』を読み終える。団塊ジュニア世代の「下流化」傾向を、階層意識別の消費行動の違いの分析をもとに読み解いているのだが、ひとつひとつの分析が誠実にしてキャッチー(このバランスがすばらしい)! しかも具体的で的を得ている。未読の若いかたにはぜひお薦めしたい。

下流社会 新たな階層集団の出現
下流社会 新たな階層集団の出現

いつのまにか貧乏から抜け出せなくなっている私にとっては、非常に苦い後味を残す本でもあった(笑)。
私が特に興味深く読んだところは2箇所ある。「自分らしさ」や「自己実現」志向のある人の低所得化について、そして、拡大する女性の格差と生き方の分裂について。自分が直面している問題だから、きっとリアルに感じるのだと思う。

大学の文学部時代からの友人には、マスコミ関係を中心に「書く」仕事や、映像等を「作る」仕事及びその周辺を目指す人が一定数いた。写真の専門学校の友人は、カメラマンや写真家等「撮る」仕事にこだわりを見せる。両者とも教育機関の方向性も含め、表現志向が強い。そしてこだわりの強い、その道をまっすぐに進んだ人ほど、裕福さとは無縁の生活をしている。
自分で選び取ったのだという自負、お金に結びつきにくいことをやっているという自尊心、ジャンルへの尽きない興味。貧乏暮らしを支えるのは、強靱な意志の力である。

他方、大学入学時に上京してから10年が経ち、そのころの女友達のほとんどはもう東京には残っていない。みな地元に戻り、専業主婦になったのだ。お相手のお勤め先は、証券会社や銀行、JR、ガス会社、学校…。決まって大卒以上のホワイトカラー。ひじょうに手堅い選択である。
彼女たちはいともあっさりと仕事を手放したように見えたので、「結婚おめでとう!」と笑顔で見送ったころには、わざわざ高い授業料を払い家賃の高い東京で大学を卒業して、なぜもっと仕事をしようとしないのか不思議でならなかった。まぁ、私のやっかみもある。
しかし、この本を読んで感心するのは、彼女たちの先見性である。彼女たちは、おそらく子育てを終えても、パートに働きに出るということはしないだろう。意識的かどうかは別にして、それが必要のない階層を選び取ったのだから。
私はそういうことに少し、無自覚すぎたようだ。大学を卒業した私は、手に職をつけるべく「自分のやりたいこと」「やりたい仕事」という青い鳥を探し始めてしまった。結果として、フリーターとの境も曖昧なフリーとして、低収入の仕事を続けている。いつかきちんと食べられる希望的な未来を描きながら、まだしばらくは低い生活水準を受け入れざるを得ない。この先、結婚も難しいだろうと感じている。
卒業後6年でこうも差がつき、そしてこの差はおそらく今後も縮まらない。『下流社会』の語る未来像は、だからとても恐ろしい。

(以下、部分的に引用します。)
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団塊世代が20代から40代となった1970年代後半から80年代末にかけては、日本の経済は、低成長といえども成長を続けており、バブルもあったので、自分らしさ志向型の人でも成功することが容易であったと言える。(中略)
しかし今後もそのような成長が続く保証はない。自分らしさ志向で生きていって、経済的な安定や社会的地位が得られる可能性は減っているかもしれない。多くがフリーターやニートに終わる危険性も高いのであり、それが社会に与えるマイナスの影響についても真剣に考えなければならないことは間違いない。

(前略)非正規雇用は、たしかに自分らしく働くために選択されている面があるのだが、しかし、それが所得の上昇や結婚のチャンスを低下させ、ひいては生活満足度も低下させる選択だということがわかる。
もしその不安定で不満の多い選択が自分らしさと引き替えになされているとしたら、われわれは、過去30年以上にわたって社会の主流的な価値観となった「自分らしさ」という、まるで青い鳥のような観念を、一体今後どのように取り扱うべきなのか。そして、すでにその青い鳥の虜になった団塊ジュニア世代以降の若者にどう対処するべきなのか。われわれは今、そうした問題を突きつけられている。
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さすがに自分探しをよしとできる年齢ではないけれど、自分の表現を仕事にするということと、「自分らしさ」を探すことは、かなり似通った作業ではある。このあたりに、表現志向型の人の生き難さがひとつ、隠れているのかもしれない。